遅咲きの建築家                                               平成19年4月16日


 大好きな安藤美姫が世界女子フィギュアスケート選手権で逆転優勝したとのニュースを知ったのは、3月25日(日)、仙台のホテルでジョギングその後朝風呂でも入ろうかと思って寝呆けた頭でテレビのスイッチを入れた時だった。フリーの競技で自己ベストを出しての優勝だった。朝の仙台の街を走ろうと思ったジョギングも止めてテレビの画面を食い入るように見る。15位に終わったトリノ五輪から1年、ようやく世界女王へ上り詰め、つらかった思いを涙とともに流す安藤美姫が映っている。「いろいろなことがあって…。トリノ五輪の後、本当につらい時期があった。本当に言葉にならないくらいうれしい」。ニコライ・モロゾフにコーチを変えた猛特訓の成果は出た。そして、優勝が19歳の安藤美姫、2位が僅かの得点差で17歳の浅田真央、3位が浅田真央より少しだけ若い韓国のキム・ユナ、年齢順でもいい結果だった。

 4月の3日(火)、軽井沢の大賀ホールで行われた「バイオリン・リサイタルin軽井沢」のバイオリン奏者五嶋龍も1988年ニューヨーク生まれの19歳だった。小気味のいい演奏と感性は素晴らしい。最近は音楽の世界では、ほんとに若い世代の台頭が著しい。来月に行われる同じ大賀ホールのバイオリン奏者、19歳の庄司沙矢香も脚光を浴びている。文学の世界ではそれよりもっと若い世代が活躍しそうになってきた。文壇の登竜門である第130回の芥川賞を19歳の「蹴りたい背中」の綿矢りさと「蛇にピアス」の金原ひとみが受賞したのは衝撃的だった。それどころか、最近はとうとう中学生まで文学賞を受賞するまでになってきた。さらに、先月には「12歳の文学賞」(小学館主催)大賞まで発表されている。小学生2人の受賞者、「日常の何げない話を書いていきたい」、「宮部みゆきさんが好き、次に書くなら推理小説」、大人顔負けのコメントだ。

 スポーツ、音楽、文学と活躍する世代がどんどん若くなっていくのに較べて、建築の世界はなかなかそうならない。「遅咲き建築家列伝」で東北大学の五十嵐太郎助教授がこの辺の事情を日経アーキテクチャー1月8日号で指摘している。モダニズム正当継承者と世界的に評価される米国のルイス・カーンがペンシルべニア大学リチャーズ研究所の作品で注目されるようになったのは50歳を過ぎてからだし、戦後、秋田の湯沢を始めとして地方に出かけて建築文化のありようを問いかけた白井晟一が哲学を学んだ後建築の設計をスタートし、旧松井田町役場などで脚光を浴びるようになったのも、40歳後半だった。「東の前川、西の村野」とまで言われた日本建築界の巨匠・村野藤吾が渡辺節の事務所を辞めて大阪で独立をしたのも確か50歳を過ぎていた。以後93歳で亡くなるまでの間、村野藤吾は時代をリードする新鮮な作品を数多く発表し続けた。そして、「遅咲きの建築家」は総じて長命、一般社会では定年退職するような年齢になってから元気に輝きだす。

「歳をとると涙もろくなって」とコメントしていたのは浅田真央、驚きのコメントだった。17歳の浅田真央のこんなコメントから考えれば、もう19歳の安藤美姫のスケート選手寿命は昇りつめたところにある。スポーツ選手は10代でデビューし、30代で引退する。音楽家は20代ではもう遅すぎるし、小説家のデビューはほんとに低年齢化の傾向に向かっている。ところが、建築の世界では20代で華々しく建築雑誌などでデビューする建築家がいても、その後順調に歩んだという話はあまり聞かない。簡単に建築雑誌に載りそうな建築を設計できても時代の波に飲まれるファッション性が先行するから、きっと長続きしない。建築はどっしり構えて少しずつ修練しながら作品を作り上げていく。「設計は高齢になって輝きを増す奇特な職業」(五十嵐太郎)とはまさにその通り、一般人なら定年になりそうな年齢から活躍する。大好きな安藤美姫、クルクル廻らなくても本格的な演技で優勝出来る歳になってきた、来シーズンこそ眼が離せない。


                                          (青柳 剛)

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