□ 「あと何回、桜を見る…」                                           平成19年5月7日


 2階の大きな窓から見える桜は毎年素晴らしい。桜が満開になるとガラス窓いっぱいに桜色になる。桜並木とのアングルと窓の大きさがそうさせる。今年は春が来るのがもたついた。関東地方の最北のこの地でも、遅くとも4月の初めには満開になると思っていたら、満開になったのは例年より遅めの4月の中旬、満開になった桜がゴールデンウイークになっても散りきらないで残っていた。パッと一気に咲いて、あっという間に桜吹雪が舞ってくるなんていう状況にはとても今年はならなかった。もう少し山奥まで行けば桜はこれから咲き出すという。毎年冬の厳しい寒さの後、甘酸っぱい沈丁花のにおいがどこからともなく漂いだしたと思っていると一面桜色になる、そして、一気にうきうきした気分が沸いてくる。

 一面桜色に染まったからといって、気分まで桜色のうきうきした気分になるとは限らない。どちらかといえば桜色とはうらはらな気分でいつも桜を眺めてきた。思い出せば11年前、毎日悩みに悩んで一睡も出来ずに迎える朝、部屋の窓から見える桜は日を追うごとに色づきだし、あっという間に満開になった。もう少し前の18年前、一日がかりの父の手術をまんじりともせずに家族みんなが心配顔で待っていた大学病院から見下ろす中庭には、桜が満開に咲いていた。もう39年も前のことになるが、「桜散る」とは大学受験の不合格電報、失意の中に通い始めた予備校、中央線の車窓から見える御茶ノ水から四谷までの土手には、桜が満開に咲いていた。もっと遡れば、昭和30年4月、校庭いっぱいに満開の桜が咲く小学校に入学したての頃、何故か父は、しばらく家にいなかった。

 2年前、仙台の大学病院に義兄を見舞ったときも桜が咲いていた。4月の初めなのに、仙台駅からけやき通りを抜けて病院まで歩くと汗がにじみ出るほど陽気は暑かった。義兄の病室の前のロビーから見下ろす仙台の街並みの中にあちこちで桜が綿菓子のように満開に咲いていた。それから1ヵ月もしないで同い年の義兄は旅立ってしまった。病室にいつでも出かけられるようにと洒落た背広を準備しながら、現役バリバリの人生中途の旅立ちだった。去年の一回忌には、読経の前に姉のエレクトーン演奏「喜多朗のシルクロード」が本堂に響き渡り、甥はアカペラで「さくら、さくら、今咲き誇る・・・、」と森山直太朗の「さくら」を亡き義兄に向かって独唱した。高音の透き通るようないい声だった。そして、桜咲く今年の三回忌は、4月21日、「千の風になって」の姉の演奏が再び本堂に流れていた。

 2階の大きな窓から見える桜は毎年素晴らしい。もたついた春、ようやく桜もきれいに散ってなくなった。そのうち、みずみずしい新緑でいっぱいになる。桜は一気にパッと咲いてあっという間に散る。そんな桜を見ながらいろんな思いをいつも抱いてきた。良く考えてみれば人生いいことばかりがある訳じゃないし、むしろ、辛くて厳しく切ないことの方がきっと多い。満開の桜を見ながら気持ちまで満開なんてことを考えそうになるからおかしくなる。それでも、目の前の素晴らしい桜並木は、来年も又満開になる。あたり一面桜色になる。そして、いろんな思いを抱きながら大きな窓から素晴らしい桜を見る。「あと何回、桜を見るんだろうか?どんな気持ちで桜を見るんだろうか?」、生温かい春風に吹かれながら春の数を数えている。

                                          (青柳 剛)

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