□ 目覚ましなんかいらない                                           平成19年6月4日


 どんなに遅く寝ても必ず早く目が覚める。決められた時間より早く目が覚める。もうここ何年も目覚まし時計を使ったことはない。起こされたこともない。眠りが浅いのかもしれないが、寝過ごしたなんてこともない。すぐに目が覚める。昔から寝つきだけは良かった。寝ると決めたらあっという間に寝入ってしまう。夜でなくても、車の中でも、新幹線の中でも寝ようと思えばすぐ眠れる。かといっていつまでも眠ることはない、寝起きがいいのである。血圧が高い人はすぐ目が覚め、低血圧の人は朝が苦手なんていう話をよく聞くが、上が130で下が70近辺だから至って普通である。特別に朝早く出かけなければならない日は、眠るのが面倒臭くなって、そのまま起きている。これなら遅刻するなんてことはない。ずーっとこんな調子が続いてきた。朝の寝起きには自信がある。一気に深く眠って目を覚ます、目覚まし時計なんか要らない。

 それでも若いときから寝過ごしたことがないなんてことはない。ぐっすり寝て、そのまま朝起きるのが本当に辛かった時もある。どんなに寝ても寝足りないほど良く眠っていた。朝の約束なんて絶対無理、約束の時間通りに出かけられることさえ珍しかった。いつも遅刻、そうでなければ午後の約束にしていた。急に変わったのが文化勲章・芸術院会員だった村野藤吾先生との面会の時からだった。日本橋の高島屋の裏の先生の事務所で10時の約束を取っていた。寝過ごしたと思ったらもう時計の針は10時を廻っている。今更駆けつけても、間に合うはずもない。先生は当時80歳代の後半、それこそ日本を代表する建築家だった。約束の時間通りに出かけられない、ましてや、寝過ごして起きられなかった自分を責めてもどうにもならない。こんなことをしていてはもう誰にも相手にされなくなってしまう。あの時以来、何としても朝こそきちんと自分から起きると決めた習慣が続いている。

 ところが最近初めて寝過ごした。新幹線を乗り過ごしてしまったのである。ほんとにこんなことはなかった。夜の最終発の新幹線を乗り過ごせばもう家には帰れない。暗闇のトンネルの中、ゴーゴー音をたてて走る新幹線に気づいて目を覚ませば終着駅の越後湯沢だった。思い当たることを考えてみれば、東京蒲田で若い社員達と夕飯を食べ、アルコールも飲んだ。それでも、アルコールを飲んだぐらいで乗り過ごしたことは今までなかった。勿論、正体不明になるまで飲んだわけではない。あれこれ考えながら、いつもと違うことを思い起こし、ようやく気づいた原因は、買ったばかりの携帯音楽プレイヤーだった。新幹線に乗ると同時に音楽を聴きだした。好きな曲ばかり入れた音楽プレイヤーを聞き入りながら寝入ってしまった。新幹線に乗っていることさえも忘れさせる音楽の眠りが、乗り過ごさせた。

 「帰るんならそこのタクシー、泊まるんならそっちのホテル」と乗り越し切符にスタンプを押しながら越後湯沢の駅員は手馴れたものだった。目覚まし時計なんか要らない、他人を起こしはすれ起こされることはないと思っていたのに辛い一日だった。結局、ホテルの温泉に入ってのんびり翌朝帰ってきた。あれはやはり携帯音楽プレイヤーの所為、眠りながら聞く、聞きながら眠るのがまずかった。新幹線に乗りながら眠っている感覚にならない、時間と距離感まで狂ってしまう。その後、アルコールが入ってもいつものように寝過ごすことはない。朝はどんなに早くても決められた時間より早く起きる。一気に深く眠って目を覚ます、目覚まし時計なんか要らない日々は続く。それとも、そのうち何も用がないのに明るくなってくる朝が待ち遠しい日々を繰り返すときはやってくる。


                                          (青柳 剛)

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