□ 入れ子構造としての建築展                                        平成19年6月18日


 雨降りがひどかった。去年の今頃京都駅の伊勢丹で買った、気に入っていた靴が駄目になってしまう、思い切って仙台駅でスニーカーを買って履き替えた。これなら少しぐらいの雨降りでも大丈夫、どこへでも行くことが出来る、身支度も万全、「せんだいメディアテーク」の「伊東豊雄建築展」を見に行ってきた。雨降りがひどくても仙台の街並みは、アーケードがあちこちにある。上手にアーケードを渡り歩けば傘をさす区間は、そんなに多くない。ケヤキ並木の通りでは、丁度、定禅寺通りアートプロジェクト「ケヤキに花を」をやっていた。白とピンクの毛糸の糸をケヤキ並木に水平に張り渡し、水平な広がりをデフォルメされた糸の空間で体験させるプロジェクトだったが、あいにくの雨の中インパクトには欠けていた。この通りで行われるこういったいろんな仕掛けの発信地の役目を、きっと「せんだいメディアテーク」が担っているに違いない。

 久しぶりの建築展だったが、「伊東豊雄建築展」はすごかった。今までの建築展は図面と模型、最近はそれに加えてCGの画面という平面的な展示が相場だったが「伊東豊雄建築展」は違う、会場そのものが主張する作品になっていた。もちろん模型はあるが、まずスケールが違う、材料も違う、大きな鉄で精巧に仕上げられている。「MIKIMOTO Ginza2ビル」の黒い模型は3メートル以上も高さがある。「せんだいメディアテーク」から先月号の建築雑誌に発表された「多摩美術大学 図書館」までを中心に会場はつくられていた。大きな模型は、それだけでアートとして充分楽しめるが、実際に覗き込んだりしながら複雑な空間体験を味わえることが出来る。伊東豊雄の複雑な形をした作品は、こういった模型で体験するのが一番分かりやすい。それにしても「せんだいメディアテーク」以後、伊東豊雄の進化の速度の速さには驚かされる。

 伊東豊雄の建築を支えているのは、建築に携わる職人の心意気とコンピュータ技術である。建築の外皮は複雑な開口部が空けられ、柱も斜めであったり、曲面にうねった屋根面、もっとすごいのは楕円をねじりながらスパイラルな貝殻のような空間が出来上がっている。こういった複雑なかたちを作り出す施工プロセスの展示も面白い。施工に携わる職人の心意気に裏打ちされなければ、複雑な形は出来ない。鉄板と鉄板の突合せジョイントが沢山あるから細やかな職人の気配りが欠かせない。手作りの心意気に加えてもっと大事なのが道具としてのコンピュータの能力、複雑な形をデザインするにも、施工をするための加工図を仕上げるのにも、伊東豊雄の建築はコンピュータが支えている。何年か前の製図道具では伊東豊雄の建築は到底成り立ち得ないのである。

 土砂降りの雨の中、無理をしながら見てきた「せんだいメディアテーク」の「伊東豊雄建築展」は面白かった。アルバイトで展示スタッフをしていた東北大学の建築大好き、伊東豊雄大好きな院生との会話は建築デザインに夢中になっていた自分の姿が懐かしく思い出される。「せんだいメディアテーク」以降の伊東豊雄のデザインの進化のスピードはどんな建築評論家も追いつかないぐらいの速さだが、事務所立ち上げの頃の作品、「アルミの家」・「黒への回帰」を設計していた頃はゆっくりとした時間が流れ、年間2つぐらいの住宅しか設計していなくても事務所の中ではいつも森進一のレコードをかけていたなんていう会場の隅に書かれていたエピソードは、ちょっとした新しい発見だった。伊東豊雄が設計した「せんだいメディアテーク」のなかに伊東豊雄の今のすべてを組み込んだ「伊東豊雄建築展」、建築と展示の間を行きつ戻りつしながら味わう不思議な感覚、「入れ子構造となった建築展」ならではの迫力十分な建築展だった。

                                          (青柳 剛)

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