□ 変わる有権者                                                 平成19年9月10日


 政治と金、年金問題、都市と地方、固定化される格差問題などいろんな問題を抱えながら夏の参議院選が行われた。マスコミは挙って報道した。テレビをつければどこも選挙の話題だったし、絆創膏を張った大臣もマスコミにとっては格好の標的だった。そのうえ、群馬では知事選が行われた。日本中が、身の廻り中が、暑い中、選挙一色だったような気にもなってくるが、実際はそんなことはない。大半の人達は、選挙にはそんなに興味はない。どっちがどうなったって気にもしていない。それより誰が立候補しているのかさえ気に留めていない。選挙だ、選挙だと積極的に関わる人はほんとに一握りの人達だけだともうここ何年も思い続けてきた。あとはマスコミがひっきりなしに取り上げるから、日本中選挙一色だったような錯覚に陥ってしまうだけなのである。

 そう思ってきたから選挙とは無縁、あとは、選挙の話はテレビと新聞、そして面白おかしく書いてある週刊誌が楽しめると思っていた。現実に週刊誌のグラビアはかなり面白い写真だらけだった。ところが地方に住んで小さな会社でも経営しているとなかなかそうはいかない。いくら強い意志を持っていても駄目、どこか違う場所にでも逃げ出して、いなくならない限り、いつの間にか巻き込まれてしまう。結局、短い期間だったが頭の中は、選挙一色になったのである。短い期間だった分だけ、一気に頭の中にいろんな情報が駆け巡るし詰まりだす。脳の容器いっぱいになってしまった脳は働かない、別の話は一切入らない、思考が出来ない、もちろん文章を書くなんてわけにはいかない。

 選挙の基本は足、足で稼ぐことに尽きる。お互い顔を見ながら話を詰めていけば結果は結びつく。昔は草の根選挙とかどぶ板選挙とか言われたが、実際に動いて足で票を稼いでくれる人がどれだけ多いかによって変わってくる。企業だとか団体の組織に乗って票が積みあがってくるなんてことはない。選挙にも誰かに丸投げはありえない。投票する個人が納得すればいい。そう思って何日間か一軒一軒廻りだした。廻ってみると面白いことに気がついた。夕方60件近く廻ってアルコールを飲んで晩酌なんていう家は一軒しかなかった。やっとトマトの出荷が終わったばかりで一息つく夫婦、乳牛を飼っている農家は牛に扇風機を当てながら汗まみれになって働いていた。花の栽培農家は、家族総出で寝る間もないという。今まで日本の根幹を支えてきた地方の人達が、必死で働いていた。

 終わってみれば選挙の結果は、予想通りの自民党大敗だった。2年前の郵政解散選挙とはまったく逆の結果になった。連日マスコミは選挙の検証結果をいろんな角度で論じている。マスコミの標的になった絆創膏大臣の所為、年金の所為、数の力の強行採決の所為とかいろいろ言われているが、実際の選挙結果はそればかりではない。検証結果をレッテルでひと括りにしてしまうことは容易い。構造的に政治に期待できなくなった国民がものすごく増えたということだ。特にここ数年、政治の力にわずかでも期待していても、いつも裏切られてきたという感覚が定着してしまったのである。こういった感覚は、歩いてみればすぐに分かる。あきらめ感を込めた「もういいや!」の感覚が蔓延している。そのうち地方の農家、10年も経てば、5軒のうち1軒ぐらいしか夜に明かりがつかなくなりそうな現実に気づくべきである。選挙に関わる人は一握りの人達、大多数の人達の流れは構造的に変わりだしている。


                                          (青柳 剛)

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