□ 眼鏡を変えた福田康夫                                          平成19年10月22日


 9月の25日に群馬から4人目の総理大臣が誕生した。4人も総理大臣を出す保守王国群馬の勢いが日本全国に知れ渡った。今日の話は、久しぶりに政治の話、福田康夫総理が誕生したプロセスを別の角度から分析してみる。当日官僚が作成した分厚い答弁書の頭から3頁ぐらいだけを読んだ形跡があるとも言われる代表質問直前突然の安倍総理辞任表明から始まり、政局は一気に動いた。急な辞任劇だったから、次の自民党総裁は、去年の総裁選にも立候補した実質ナンバー2の幹事長麻生太郎に落ち着くと誰もが直感したが、翌日から流れは福田康夫の立候補の強い意欲と共に大きく変わり、以後大勢は殆ど変わらずに福田康夫総理総裁が誕生した。あらましの流れはこうだった。去年の夏、「もう歳だしね」といって総裁選出馬を断念した福田康夫の行動を思い起こした大半の国民は今回の総裁選に対する並々ならぬ意気込みは奇異に映ったのかもしれない。群馬県民だけが、いつの間にか変わった福田康夫の意気込みを感じ取っていたのである。

 今の状況を一言で表せば「欝の時代」であると指摘したのはジャーナリスト田原総一朗である。7月29日の参議院選挙は、大方の予想をはるかに超えるほどの自民党の大敗に終わった。敗因は、いつまで経っても本格的な景気回復を感じられない、都市と地方の格差、大企業と中小企業の格差、強行採決の場面を繰り返されて報道された、政治と金などといくつも挙げられるが、決め手となったのは年金不信、もう少し言えば将来に年金を大して貰えそうもないということに国民が気づいたからである。不信感は不安感へと繋がり、期待できないあきらめの気持ちが醸成されたから、時代は「欝の時代」となった。「憂鬱の時代」と言ってもいい。こんな「欝の時代」に漫画大好き、明るく、はしゃぎ過ぎキャラの麻生太郎はきっと似合わない。いくら上手な聴衆受けの演説を聴かされても聴衆はその場限りだけ、すぐに「欝」に戻ってしまう。「欝の時代」にはしっとりとした、落ち着いたリーダーを求めるから福田康夫になったのである。

 外形的な要因、時代背景は「欝の時代」で一括りに出来るが、政治家本人のタイミングを見た意欲と資質、つまり内的要因が一致しなければ結果は出せない。チャンスと見た判断を誤ればあっという間に蚊帳の外に置いていかれてしまう。政治家にとって旬な時期はほんのひと時のような気がしてならない。去年の総裁選に立候補していれば今日のような状況は起きなかった。去年の引き続きだと国民は思っていたが、群馬県民は福田康夫が変わりだしたのをこの数ヶ月の間に目の当たりに見ていた。激しい選挙戦となった知事選で福田康夫は自民党公認候補の選対本部長に就任したのである。それもかたちだけの就任ではなく、暑い中も、雨が降る中も、どんな少人数の集会にも出席して、口調は穏やかでも激しい中身の演説を繰り返していったのである。集会が終われば聴衆一人一人と握手までして帰ったのである。並々ならぬ思いとその前向きさに群馬県民は驚いたし、福田康夫が変わったことを感じ取っていたのである。

 変わった要因は、いろいろ挙げられるが、9月の末の講演会で早稲田大学教授・政治ジャーナリスト田勢康弘の指摘は面白かった。去年から福田康夫の眼鏡が変わったという指摘である。そういえば、それまでは黒縁の厚いレンズの眼鏡をかけていたが、今は違う。薄いレンズでフレームも軽そうな眼鏡をかけている。田勢の言うには、去年の眼の手術で目が良く見えるようになったのだという。レンズが薄くても大丈夫だから、フレームも好きな物を選べる、選択肢が拡がる、そうなれば積極的な気持ちになる。世の中が良く見え、意欲的になった、このあたりが別の面から見た群馬県知事選と解釈すれば一連の動きも理解できる。71歳で総理大臣、最初は誰もが「歳かなあ〜」とも思っていたが、最近はしっとりとした答弁で安定感も出てきた。内閣支持率も50パーセントを超えている、マスコミもはしゃがなくなった。ようやく本格的な政策論争の場に政治がなってきた。「なんで理解をするような努力をしてくださらないかなと思っています。見解の相違ではないですか。これはいくら議論したって賛成といわないんでしょ。結局。そうなんでしょ?」(10月16日 参院予算委員会首相答弁)、反対のための反対論争を繰り返している野党、ひょっとしたらもう流れの潮目は眼鏡と共に変わりだしたのかもしれない。(文中敬称略)

                                          (青柳 剛)

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