「変わらない男」と「変わる女」                                                             平成20年1月21日


 「変わらない男」は自分自身のことを考えればいいのだから、すぐに説明できる。身体も考え方も、いつまで経っても変わらないのが男である。指が細くて、頬も少しこけていて、身体全体も細め、ウエストも70cm近辺、そんな雰囲気の自分の姿に心のどこかで憧れていた。そうなれば少しは派手目の服装をしても似合う。食べ物を減らし、筋トレに行って、有酸素運動で頑張れば望み通りの体型にそれこそ指先までなることは簡単だと思っていた。ところが現実はなかなかそうならない。身体は限りなく思いとは別に逆の方向に向かいだす。眼の前に出てきた食事はどれも美味いし、すぐに箸が出る。筋トレも激しくやればやるほど体調はよくなって食欲は限りなく増してくる。かといって筋トレも少しでも休み出せば、いつのまにか遠のいて身体はだぶついてしまう。そんなことの繰り返しだから相変わらず指は丸め、頬も張り按配、おまけに腹も出てくる。いつまで経っても体型は子供のときの延長線、変わり映えしない体型を維持し続けるのである。今日の話は体型から始まって心の中まで「変わらない男」と、「変わる女」についての話である。

 「変わる女」、女は変わる。体型もそうだが、女の好みは見事に歳をとるごとに変わっていく。小学生の頃に女の子に人気のある男の子はスポーツ万能の男の子だった。運動会でもぶっちぎりの一番、リレーのアンカーでもやって何人抜きかをすれば羨望のまなざしが注がれ人気者になる。そのうえ、鉄棒をくるくる廻る大車輪でも出来れば最高だった。もちろん勉強も出来ればそれに越したことはない。中学生になっても、女の子に人気のある男の子はそれほど変わらない。足が速くて野球でホームランを打てば人気は絶好調になっていた。要するにもてる中学生だった。ところが、女の子の好みは高校生ぐらいになると変わりだす。それまで見向きもされなかった、隅にいた高校生に眼が向きだす。例えば音楽が出来る高校生に人気が集まるのである。リードボーカルでも良いし、ギターの腕前でもいい、ピカイチならば人気は学年を重ねるごとに高まってくる。音楽得意な高校生は、小学生の頃には見向きもされなかった。鼓笛隊の縦笛がどんなに上手で誰も見向きはしなかったのである。(参考;「暮らしの哲学」池田晶子著 2007年6月毎日新聞社)

 「変わらない男」、「変わる女」に較べて男は変わらない。書き出しに体型のことを書いたが、病気でもしない限り子供の頃の体型はそのまま変わらない。急に変身なんてことはあり得ない。男の好みも同じように変わらない。子供のときから思いを寄せる女の子の基準は、ただひとつ、可愛い綺麗な女の子だった。運動が出来なくてもそれはそれで了解できたし、勉強が出来ても出来なくても、そんなことはあまり好みの基準には関係がなかった。すべては可愛い綺麗な女の子、勝手に良い方に解釈してしまう。歳をとったらこの好みの基準が変わるかといえば、一向に変わらない。小さかった頃の好みの基準がそのまま、綺麗な女の人に眼が向いていく。そして、「変わらない男」と言えば去年の今頃、久しぶりに大学時代の友達と銀座で酒を飲んだ、何も変わっていない、学生時代そのままだった。酔いつぶれた友人は相変わらず昔から酔いつぶれ役だったし、その友人にタクシーを見つける世話係りは別の友人、家まで送っていった友人も昔から送る役目を担っていた。しら〜っとした冷たい眼で一歩引きながら見ていた友人も昔からそうだった。何年経っても、役割分担から何から何まで「変わらない男」そのものの集団だったのである。

 「会うたびに驚くのが、喋り方から考えてることまで、高校の時とまるっきり変わっていない、ガキのままだってことでね。いまだに『エレキやろうぜ』って盛り上がっているし、酔っ払うと『あそこにいる女をナンパするか』なんていうからね。いくつだと思っているんだって言ったら『いやいや』って。・・・」、週刊ポスト(1.18号)で1947年生まれ、60歳になるビートたけしが話をしている記事である。これも「変わらない男」のことを言っている。「変わる女」、女はどんどん変わる。何故変わるのかと考えてみれば、思いつくことはいくつかあるが、女は一緒に歩いていると見事に方向音痴になる。オリエンテーションが分からなくなる。今来た道の戻り方も分からなくなってしまう、皆そうだった、少なくとも男のほうが方向感覚はしっかりしている。方向が定まらないというか、別の見方をすればこっちに行くという方向性がない、だから何でも吸収する、何でも吸収できればその度に変わっていく、こんなところが「変わる女」を理解する手立てのひとつなのかも知れない。男はひとつの方向に向かっているから変われない。いつまで経っても綺麗だと思った女の人の影を忘れられず、もう学生運動は起こりようもないのに昔読んだ柴田翔の本なんかを引っ張り出してみるのは「変わらない男」そのものなのである。

                                          (青柳 剛)

ご意見、ご感想は ndk-24@ndk-g.co.jp まで


「森の声」 CONTENTSに戻る