□ ようこそフランス料理の街へ                                                             平成20年6月30日


 「終わったあ!」という達成感を味わいながら飲むシャンパンは美味い。ジャズでも聴きながら、雰囲気の変わった店で打ち上げをするときの心地よさは最高だ。この雰囲気を味わいたいがために集中して取り組む。もともと廻りを巻き込みながら、ひとつのものをつくりあげていくことが好きな性格であり、他人任せにするのがいやな性分である。それにしても今回の取り組みはきつかった。何しろ考え付いたのが一ヶ月半ぐらい前、それから試行錯誤しながらの立ち上げだったから、溜まるストレスは高い。きっと「この歳になって・・・」という年齢もそうさせた。頭の中に他のことが何も入らなくなった状態というのはこの一ヶ月間の事をいう。ようやく目途が立ちだしたのが一週間ぐらい前、考えてみれば修士論文程度のことを一ヶ月で仕上げようと思うから無理がある。当日の夜のシャンパンぐらいでは気持ちが吹っ切れない、後まで尾を引きそうだ。気持ちを切り替えるには場所を変える、知らない街に行くに限る、そう思って先が見え出した一週間前に乗り放題の安い切符とビジネスホテルを手配した。

 打ち上げが終わった翌朝、向かった先は弘前、今まで日本中で降り立ったことも、ましてや通過したこともない県がただひとつ、それが青森だった。はじめての街なら気持ちも切り替えやすい。荷物はジム用の靴と着替えだけ、キオスクで久世光彦の単行本とさいとうたかおの漫画本を買って新幹線に乗り込んだ。岩手を過ぎると見知らぬ車窓が過ぎ去っていく。八戸で特急に乗り換えると車内は満員で動くことも出来ない。津軽弁も聞こえ出した。青森駅の周辺を少しだけ歩き回って弘前に着いたのは午後2時を廻っていた。気温はたまらなく暑いが湿気がないのがいい。気持ちの切り替えは空気の切り替えから始まる。ホテルにチェックインを済ませてどこに行こうかと考え、フロントで貰った弘前の地図を広げる。100円の循環バスが10分おきに走っている。「とりあえずバス!」と決めて乗ると、中心街をバスは通り抜けていく。窓越しに建築家がデザインした強烈な建築が眼に入ってくる。あとでじっくりチェックしなければならない建築だと思いながら弘前城の手前でバスを降りる。知らない街は徹底的に歩くのがいい。歩くと面白い発見がある。

 「城は見なくていい、建築を見ればいい」と思いながら最初に見たのが「青森銀行記念館」、住宅街を歩いていたらいきなり強烈な屋根が見え出したので覗いてみたらそこが裏口だった。正面玄関に廻って入ると当時の銀行をそのままにして記念館にしている。「そうか弘前にはこういった洋館がいくつかあるんかあ」とここで初めて気付く。その足で「日本基督教団弘前教会」に廻り、移築された「旧弘前市立図書館」と「旧東奥義塾外人教師館」を見る。ゆるやかな坂道を下りだし、先ほどバスの車窓から見えた中心街の建築に向かうと迫力満点の建築の全体像が見え出した。ポストモダンそのものの建築である。聞いてみると、1970年代から80年代、「反住器」を始め次々に異形の建築を発表し続けた建築家毛綱毅曠の作品だった。弘前のしかも百貨店が毛綱に頼んだことが驚きだった。吹き抜けには中吊りにされた階段もあるし、列柱は「ずれ」を表現しながら建てられている。毛綱のボキャブラリーというか手法があちこちにちりばめられている建築である。

 面白そうな建築がいくつもありそうだと思って、ホテルに帰って、弘前をもう少しインターネットで調べてみると日本の建築界の巨匠だった前川國男の作品も数多く建っている。弘前とは縁があったらしい。洋館からポストモダンの毛綱、その後に近代建築の代表ともいえる前川の作品が見ることが出来るのは最高だ。翌日は前川の作品を見ることにした。「弘前市民会館」と「弘前市立博物館」、弘前城を横目に見に行ってみると、鬱蒼たる緑に囲まれて「弘前市民会館」が現れた。ピロティーあり、コンクリートの可塑性を強調したうねった打ち放しの壁あり、吹き抜けにスキップフロアーありとル・コルビジェに影響された前川の手法が綺麗に整えられて表現されたいい近代建築だった。かなりディーテールにも気配りされていて建築後のメンテナンスもしっかり出来ている。さすが前川國男と思って感心する。それに周りの環境もいい。思いもかけずに集中して様々な時代の建築を見ることが出来た。

 格安の切符とリーズナブルなホテルに泊まった2泊3日の弘前、知らない初めての街だから発見だらけだ。洋館から始まって近代建築、ポストモダンの建築と充分に楽しめる街だったが、フランス料理の街だったとは知らなかった。まるで計画性のない弘前行きだったが、夕食だけはきちんとした。知らない地で食事をきちんと摂れないと気分が落ち込む。最初の日の夕食は、2両つなぎの電車が走る中央弘前駅近くの隠れ家的な雰囲気の和食、かなり味のレベルは高い。そして2日目が弘前自慢のフランス料理、何でも弘前をフランス料理の街として売り出した仕掛け人の店だという。接客も良かったし、カンパリソーダを飲んでいた若いカップルのお客の雰囲気も良い、スローフードにこだわった味は申し分ない。空いた時間を使って2時間のジムとマッサージと理髪店、Tシャツとネクタイとワイシャツを2枚、市場でイカ刺しと生牡蠣・・・・、思い出してみればいろいろなことをした弘前行きだった。一気に仕上げたタイトな一ヶ月、6月20日が終わった後の知らない街、気持ちを切り替えるには場所を変え空気を変える、行きずりの街を彷徨いながら歩くに限る。弘前で買った「ようこそフランス料理の街へ」(弘前大学出版会)を今日もまた読み返している。
                                          (青柳 剛)

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