□ 挫折とジャッジ                                                                  平成20年7月6日


 「家には一冊も本がなかった」(文芸春秋 2008,3月号)と言いながら、小説家になると決めて07年最初に書いた小説「わたくし率 イン 歯−、または世界」を「早稲田文学0」に発表、08年、「乳と卵」で芥川賞を受賞したのは川上未映子だった。スタイル抜群だし北新地のホステスをしていても「確実に才能はあった」(受賞者インタビュー、文芸春秋 2008,3月号)という。一言で言うと、稀に見る才能というか異能の持ち主が現れたということだ。簡単には小説家には誰もなれない。世間で評価され、ようやく小説家として1人前になるまでの苦労話は沢山ある。「何千枚原稿を書いて出版社に持っていってもなかなか相手にされなかった」と書いていたのは浅田次郎、それでもその後の小説家としての人気は高い。挫折を経験しながら、挫折を味わえば味わうほど成長する。川上未映子のような存在はあり得ないと思うことから思考はスタートする。

 最初の大きな挫折はなんと言っても大学入試だった。今考えてみると、当時の地方の高校生は勉強の仕方が分からない。「家には一冊も本がなかった」、川上未映子と同じことだった。同じ状況でも川上未映子のようなわけには行かない。戦後のものが無いときだったこともあるが、本当に家の中に本は少なかった。あるといえば、ページを開いても何がなんだか分からない毛筆の抑揚のルビが振られた父の謡曲の本ぐらいだった。本がなければ情報もない、何をしたらいいか分からないような状況だったから行き先が見えない。手探りの状況の中で東京に出て大学受験をしようとするから、結果は見えている。どこを受けてもうまくいく筈がない。こんな調子で人生がスタート、人生最初の挫折を味わうことになる。あの時点で味わった挫折を2度と繰り返すまいと心に決めたから、それ以後いつも人一倍の本を読むことを心がけてきた。

 先日企画している建築のセミナーでは面白い質問が出た。最近、公開設計競技(コンペ)で最優秀案か優秀案にいつも顔を出す建築家古谷誠章の講演会である。優しい淡々とした語り口が良かった、人柄が表れている。「コンペに勝ち続けていますがどうしたら勝てますか?勝ち方を教えてください」、なかなかいい質問だった。こういう質問があるから生のセミナーには意味がある。答えは「負け続けること、それでもやり続けること」、なかなか意味のある回答である。負け続ければ「今度はあれをしよう、これをしよう」といろいろな戦略を描き出す。審査員の特徴まで考えながら作品をつくるようになる。セミナーを聞いていると、なるほど参加したコンペの数は多い、どちらかと言えば、選ばれなかった作品の数のほうが多い。コンペを重ね、挫折を味わいながらその都度次に向かってチャレンジ、今の状況を築き上げてきたのである。

 確かにいきなり文章を書いて、これはという物書きになる作家はいる。川上未映子もそうだが、向田邦子が「父の詫び状」で物書きとしてデビューした頃、山本夏彦が「向田邦子は突然現れて殆ど名人である」と誉めそやしたのは有名な話である。いきなりスケッチから始めて、誰もが感動する作品を発表する建築家も考えただけで何人かは思い当たる。それでも数は少ない、建築史に残る建築家だけだ。あれこれ必死に考え、格闘しながらようやくいい文章は書けるようになるし、建築作品も生まれるようになる。川上未映子のような存在はあり得ない。人生は、挫折を繰り返し、その積み上げでようやく1人前になる。企業経営もそうだが、おそらく挫折の数に比例する。後は挫折を味わったときに次に向かってどういったジャッジをしたかどうかにかかっている。「挫折とジャッジ」、「家には一冊も本がなかった」家が、いつの間にか、山のような本で埋め尽くされ続けているのである。
                                          (青柳 剛)

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