□ 酔えばみんな美人                                                                   平成20年12月15日


 これから年末から正月、酒を飲む機会は多い。酒を飲んで思うこと、「何であんな女の人とカラオケを歌ったんだろう?おまけに臭いデュエット曲まで歌ってしまった、酒を飲んでいなければあり得ないことだった・・・」、翌朝、こんなおぞましい気持ちになった経験は誰にだってある。酒を飲んでいなければあり得ないことだった。最近、いくら酒を飲む機会が減ったといっても、さすがにこの季節は酒を飲む機会が多い。まあカラオケぐらいならいいだろうが、酒の上での言い合い、過ちまで行けばかなり具合が悪い。いくら酒を飲んだ時の話だと言っても、酒癖の悪さのレッテルは貼られてしまう。それよりも「本当はあんな人間だったんだあ?!」と思われてしまうことのほうがもっと怖い。酩酊と高揚した気分を味わうために酒を飲む、酒の飲み方は上手に飲まないわけにはいかない。

 飲もうと思えば酒はどんどん飲める、父親譲りの体質なのかもしれない。父はものすごく酒を飲んだ。飲める体質ということもあったのだと思うが、あれは軍隊、軍隊仕込みで酒が強くなったのだと思う。酒を飲みにいけば、いつも飲みきった状態で帰ってきていた。軍歌まで歌いだす、それこそ飲みきった状態だった。もののない戦後の時代がそうしたこともあるが、よく飲んでいた。仕事の延長で外で飲んでいた、いきおい、酒を飲む量も多くなったんだろうと思う。小さい時から思っていた、あんな風な酒だけは飲むまい、飲んでも分けのわからなくなる飲み方だけはやめようと思って酒を飲んできた。気にしながら飲んできた。それが最近は大した量を飲まなくても、すぐに酔うようになってきた。80CCの日本酒2本と缶ビール1本も飲めば、かなり酔いは廻りだす。これ以上飲むと翌日にまで残り、尾を引くようになってきた。

 酒が弱くなって酔うようになったが、相変わらず、飲む気になるといつまでも飲んでいられる。酔って飲めるのだから始末が悪い。気持ちが悪くなるなんてこともない。終わりがなく酔いが続くのだから、飲みきってしまうことにならないように気をつけなければならない。ところで、酒を飲んだうえで失敗をした話は、世の中、ゴロゴロ転がっている。例えば、この前も、日本の名だたる憲法学者である法科大学院の学長が女子大学院生に訴えられていた話なんかは強烈だ。本当かどうかは分からないが、謝罪文まで書いたという。憲法学者も酔えば何をするか分からない、昼間の知性のかけらが微塵もなく無くなってしまう。知性と下劣さ、この落差が面白くて格好のネタになるから週刊誌沙汰にまでなる。ここまで行ってしまえば、酔っていたから記憶がない、酒の上での話では済まない、一生を棒に振ってしまう事件である。

 断る回数を多くしても酒を飲む機会は、やはり多い。家で飲むのと違って、飲んだ量が分からなくなるから始末が悪い。気分が良く、飲み口がいい酒でも出てくれば、つい飲みすぎてしまう。まさか80CC2本の酒と350CCのビール1本と計って飲むわけにもいかない。それでも、宴席は、最低1時間半を付き合わなければならない。こんなときの酔った、酔い過ぎた、もうこれ以上はやめたほうが良い、と思う目安を最近は自分なりに決めている。痩せてガリガリの人、太って腹がたるんでいそうな人、足首が徳利みたいに太い人、挙句の果てに歳のとった人まで「酔えばみんな美人」、周りに居る女の人がみんなそう見え出したときが危険、素早くウーロン茶の水割りに切り替える、これが酔いだしたときの判断基準である。そうすれば後は無事に1時間半を過ごすことができる。大体がうまくいく。そうは言っても、酩酊と高揚気分を味わうために飲める酒を飲む、痩せたガリガリの人も柳腰の日本美人、三段腹の太った人もポッチャリ美人、歳をとった人も妖艶な熟女・・・、「酔えばみんな美人」だらけ、翌朝、おぞましい気分になりながら年が暮れていく。
(青柳 剛)

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