□ 暮れから正月                                                                       平成21年1月19日


 今年も暮れから正月、金沢にいた。仕事仕舞いをして家の大掃除と父の墓参り、そして正月用の松飾りをつけ終え、「ほくほく線」に乗って金沢に出かけた。出来れば今年はもっと暖かいところがいいかとも思ったが、結局は同じところに落ち着いた。同じところが安心できることもあるが、寒いところに出かけるといろいろと考えることが出来る。1年間を振り返るには冬の日本海を見て、寒く、それでいて少し都会の雰囲気を味わえる街がいいと思って決めた金沢行きだが、これで3年間連続金沢での年越しということになった。その他に年に何回か出かけているから、もう、観光気分で街を歩き回ることもなくなった。勝手知ったる街になりつつあるから、ぶらついて新しい発見でもあれば、そんな気分で出かけている。

 大晦日の蕎麦も3年間、同じ蕎麦屋だった。金沢の蕎麦の味はそんなに期待していないから、「不味くなければいい!」そんな気持ちで食べている。蕎麦屋に向かって坂道を下っているときに、デジャヴ現象に近い感覚、急に1年前のことを思い出した。シャッター通りというか、うら寂れて、ほとんど人気のないビル街を歩いているときに、「そう言えば、去年、あのビルの屋上に犬がいたっけ!」と思い出した。去年、蕎麦を食べ終え、横断歩道を渡ろうと歩行者用のボタンを押して、信号が変わるのを待ちながら、雪がチラチラ舞う空を見上げると4階建てのビルの屋上からその犬は置物のようにこちらを見下ろしていた。「人気のないビルだから置物の犬が置いてある」と思ってしばらく見上げていたら、急に動き出した、「本物の犬だあ!」と驚いたことを思い出したのである。あれから、1年、ビルのすさんだ光景はもっとひどくなっている、障子も穴だらけ、ブラインドは中途半端に斜めになって開いている、「あの犬は、もう、死んでいないよなあ」とビルを見上げる、やはりいない。

 歳をとった人が切り回しているから、配膳のうまく行かない、行列の出来る蕎麦屋だが、ようやく順番が来て蕎麦を食べ終え、外に出た。信号のボタンを押しながら、「来るときに見えなかったから帰りもいる筈はない」と思いながら、坂道を上りだし、「それでも・・・?」と屋上を見上げると、「いた!いる!いる!」、去年と同じ格好で置物のようになって、また、下を見下ろしている。これは驚きというか、もう、感激だった。南極のタローとジローの話のような気分になってきた。何故か笑いもとまらない。去年と同じことが起きたことと、もういる筈がないと少し切ない気分になっていたことが、そうでなかったことへのうれしさだった。うれしさのあまり、ビルの屋上に向かって、人目も憚らず大きな声で「ワン!ワン!」と叫んでみた、屋上の犬も一緒になって叫び返してくる。その上、屋上を走りまわりだしている。「元気に1年間生きていたんだあ〜!」と感激しながら、まったく去年と同じことが起こったことが楽しくてしょうがなかった。

 のんびりブラブラしていながら、面白い発見があればいいと思いながら歩く、暮れから正月にかけての金沢だった。屋上の犬もそうだったが、そう思って歩いているといろいろな発見がある。観光地だから、「絶対に不倫!」と思われる組み合わせに毎年何組も出会う。今年も、足首ぐらいまでのロングコートを着て、髭の男と腕を組みながらホテルのエレベターに乗ってきた男女、どんなに着飾っていてもジーパンを履いていた寒そうな若いカップルの華やかさとは違う、不倫カップルはその場限りの短い逢瀬、浮き過ぎた借り物の感じがするからすぐ分かる。他人のものを盗っている貧しさも滲み出る。大晦日の夜、隣の席で携帯メールをただ「ずーっ」と眺めていた若い女の人、待ち人来たらずの年の瀬のわびしさが漂っていた。赤いマーチに乗り込んだ男女は両方とも杖を使った半身不随、半身不随がうつるわけがないから、同じ病気が取り持つ縁の知り合い?「写真撮りますよう!」と言ってその場で焼いてくれた、和服を着た片町の料理屋の女の人は金沢大学の1年生、帰省もしないで親不孝!・・・、いろいろ勝手に想像しているだけで楽しい。雪が舞い散る中、他愛もないことに反応し、あれこれ思いを巡らし、他人の人生をのぞき見ながら、何もしない一年の締めくくりの金沢が終わった。(青柳 剛)

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