□ タイトルは「銀色万年筆」                                                                平成21年4月27日


 3冊目の本になった。エッセイ集である。7年で3冊だからそんなに数が多いほうではない。今回は今まで書いてきた文章の中から、誰もが分かりやすく、読んだ人の心が揺れていくような文章を集めて構成した。ビジネス関係、建築の専門的な話題、時事ネタは省略したのである。今までの本とは違った構成だから本のタイトルも変えなければならない、もう少し本の中身を連想させるようなタイトル、手にとってみたくなるようなタイトル、ありふれたようなタイトルなら印象に残らない、かといって、あまり奇をてらったようなタイトルは性に合わない・・・、暮れから年明けにかけて「ずーっ」と考え続けていた。編集の人からもいろいろな案が出てきたが、しっくり来ないし、ピンとこなかった。どうしようもないから中身のエッセイのタイトルから取ろうかとも思っていたが、夜、眼が覚めてあれこれメモを書き続けているときにようやく浮かんできたタイトルが「銀色万年筆」だったのである。

 タイトルは本の中身を写し出す鏡でなければならない。タイトルばかりが先走って、タイトルと文章の中身のギャップを狙ったら、読者は違和感を持ってしまう。極端な話、恋愛小説だと思っていたらビジネス書だとしたら読者はがっかりする。読者は本を手にとって見るとき、そのときの気分にあった本をとってみる。今回の本の中身は、やわらかさと明瞭さと静けさ、ドキッとするインパクト!!ではない、一日の隙間の時間に、寝る前のひと時に、そっと手にとって読んでみたくなるような本・・・、編集担当のTs女史とこんなやり取りを何遍もした。そんな中で両方から出てきたタイトル案は「あるジャズの邦題から」、「考えない日はない」、「人生の行間」、「明日も横揺れ」、「いつまで経っても普請中」、「インクの臭いと万年筆」・・・、次から次へといろいろな案が出てきて切りがない。そして、最後まで捨てがたかった案は「考えない日はない」だった。ありふれた感じがするが、「ない」が繰り返される語呂合わせもよかったのである。

 本の中身は今まで書いてきたエッセイ296遍の中から徹底的に吟味した。当然、選択する基準も作らなければならない。殆んど毎週書いているエッセイと一冊の本になることとの根本的な違いは、1,200字から1300字のエッセイはそこだけで自己完結をしていること、本は読み終わって完結することである。それに、エッセイは書いている人の考え方や人となりがあらかじめ分かっている人が読むということもある。本は有名作家でもない限り、見知らぬ読者が初めて作者を知ることになるのである。こんなことを考えながら、書いてきたエッセイをセレクトすることになったが、7年前とは文章の質も書きっぷりも変質しているから大変だった。統一するのも難しい。作者の人となりが分かりそうなエッセイを中心に取り出した。後は、週毎に完結している文章の書き方を変えたり、加筆削除したりして、全体を通して読み終わった後にしっかりとメッセージが伝われば書き手の思いは伝わっていく。

 装丁は簡単に決まった。横に万年筆のラインが何本も書いてあるのは積み重ねられてきた日々、タイトルの「銀色万年筆」の字体は手書きの明朝体となった。これは良く見ないと分からないぐらいの書き方だ。地味な装丁だが、店頭ではかなり異色の装丁のような気がする。あれこれ考えながらようやく出来上がった「銀色万年筆」、「銀色」を使ったタイトルも調べてみれば沢山ある。映画「銀色の雨」もあれば「銀の指輪」は昔流行ったチューリップの曲、「銀色の空」はテレビの主題歌、「銀色徒然草」はたまに見るブログのタイトル、作家に銀色夏生もいる。そんな中でも気に入っているのが大滝詠一の「銀色のジェット」、メタリックなジェット機をなぞりながら別れを歌った曲がいい、新しいものと揺れていく心の組み合わせがいい。「タイトルは銀色万年筆」、そのうちどんな揺れた感想が聞こえてくるのか、本を出す楽しみはここにある。(青柳 剛)

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