□ 「父の墓参り」                                                                     平成21年6月22日


 最近、墓参りに出かける回数がめっきり多くなった。彼岸、お盆、あとは暮れの押し迫った1日ぐらいしか行かなかったのに急に足が向くようになった。先日もそれこそ久しぶりに母の実家の墓参りに出かけた。6年前と8年前に立て続けに2人の叔父が亡くなって以来、初めてである。父の墓参りは、この数ヶ月間、それこそ空いた時間を見つけては出かけている。平均すれば、週に1度は出かけている勘定になる。もちろん、墓の前で心が落ち着くこともあるが、父が考えていたことをなぞることによって、今の生き方そのものを確認することが出来る。墓参りの回数が増えるからそれだけ父の思い出が増えることになるわけだが、15年前に亡くなったといっても昨日のことのように父が語っていたことがいろいろと浮かんでくる。そして、浮かんでくることといえば、いい思い出、楽しかったこと、子供に対して注いでいた愛情のことばかりである。

 父が話していた、面白い「嘘」の話がある。「いい嘘を上手につくもんだ」と言っていた。父の母は、父が旧制中学の時に享年62歳で亡くなった。農家で働き詰めて亡くなったという。亡くなる頃には床に伏せがちだったが、その頃母についた「嘘」のことをよく口にしていたのである。3男の末っ子、中学生の父が数十キロ離れた町に陸軍演習の見学に汽車に乗って出かけることになった。病床の母親に「シモ(南)のキュウリはでかくて美味いそうだ、帰りに見つけたら土産に買ってきておくれ」と頼まれた。ところが、1日がかりの埃まみれの演習を終え、汽車に乗って駅に戻って来たとき、約束していたキュウリを買うことをすっかり忘れてしまっていた。「どうしようか」と困った父は家路に向かいながら歩いていると、丁度、商店街の店先にキュウリが並んでいるのを見つけて買い求め、家に帰った。母親は「シモのキュウリはやはり美味い!美味いなあ!」と言いながら食べたという。結局、最期までそのキュウリを家のそばで買ったことを知ることもなく、父の母親は亡くなった。「おふくろに喜んでもらえた、他愛もない、いい嘘はあれで良かったんだ」と話していた父の笑顔が浮かんでくる。

 「何か困ったときには、必ず良いタイミングで父親が現れる」、最初にそう思ったのは大学4年生のときだった。4年生の卒業設計にかける情熱は、今考えても、凄いものがあった。2月の初旬に提出、そうなると1月の半ばまでには概ね設計を固めておかなければ間に合わない。秋口から暮れにかけて必死でスケッチを繰り返していた。最後のまとまりがどうしてもうまくいかない。これは正月ももちろん返上だと思って頑張っていた。焦りながら疲労はどんどん蓄積していく。このときに初めて、ストレス過多になると眠れなくなるという状態を味わった。若いときは、どんなに寝ても寝足りたなんてことはないと思っていた。明け方6時ぐらいに寝付いても、すぐに2時間もすると眼が覚めてしまう。結局は1日中朦朧状態で過ごすことになるから、益々精神状態は不安定になり、設計作業も進まない。暗くすれば眠れると思って押入れの中で寝ていた。あれは確か正月の2日、朝の9時ごろ押入れの襖を開けると父が覗き込んでいた。「どうした?大丈夫か?これでも飲んで少し休めよ」と言いながら差し出したのがウイスキーのオールド、学生には飲めない酒だった。電話のやり取りの中で「様子がおかしい?」と気になった父は、朝一番の電車で駆けつけてきたのである。結局はあの時から、ようやく立ち直り、無事提出までに間に合い、最優秀賞もとることが出来た。

 考えてみれば、去年の冬、母の入院騒ぎの時、雪降る中の神頼みに近い気持ちで出かけた父の墓参り以来、墓参りの回数が増えている。なんとなくあの時は、墓参りのおかげで母が回復したような気にもなっていた。墓前で思い出すことといえば、おそらく父との間には山ほど確執もあった筈だが、不思議とどこかに消え去っている。「嘘」の笑い話も「押入れを開けた」時の父の心配そうな顔も昨日のように甦ってくる。面白い父親だった。そして、いい事ばかりが思い出されるから、またでかけてみようかという気にもなってくる。裏返してみると、それだけ良いことも悪いことも山積み、起伏に富んだ毎日を送っているということになる。起伏に富んだ気持ちのブレを整理するために墓参りに出かけてはいろいろと考える。不安な気持ちをかき消すための墓参り、そのうち週に1度では済まなくなりそうだ。(青柳 剛)

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