□ ふり返る夏                                                            平成21年9月28日


 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、暦どおりに急速に朝晩の冷え込みを感じるようになった。本格的な秋の訪れを迎えだした。それにしても、今年の夏は夏らしい暑い日をそんなに感じることもなく夏が過ぎ去ってしまった。あの耐えられないような暑さを感じる日は、お盆の近辺のほんの数日、大雨の降る台風も夕立も数えるぐらいしかなく夏が終わった。ふり返ってみれば穏やかな夏だった。夏の終わり、もの凄い暑さの後に吹き出す秋風と虫の声は切ない、もう一度あの焼けるような夏を味わいたくて、いつもの年ならば8月の終わりに北陸に出かけていた。フェーン現象の北陸に出かければ、言葉を交わすのにも耐えられないような暑さを夏の終わりに味わうことが出来る。過ぎ行く夏を心のどこかで押し止めたい気持ちが北陸に足を向かわせる、ここ数年そんなことを繰り返してきた。
 
 去年も8月の20日過ぎ、台風が近づき、暑くなりそうな日を狙って富山に出かけた。駅からホテルまで歩くと、とんでもなく暑い。過ぎ去りそうな夏をもう一度味わうとはこの瞬間のことを言う。ホテルにチェックインして取り敢えず昼飯と思って出かけたのは総曲輪町の近くの鮨屋、昼時なのに混み合っていた。カウンターに座って、「先ずは冷えた生ビール!」と思って注文したら、「うちの店にはアルコール類は一切ありません!」と強烈、驚くような答えがカウンター越しに返ってきた。禁煙ならば分かるが、なんでも創業以来、昼でも夜でも一切酒を出さない鮨屋だという。確かに、お客の回転は酒を飲まない分だけ早くなり、そのうえ酒にごまかされることなく鮨の味をじっくり味わうことが出来るということだ。鮨の味だけで勝負の店だから、流石に味は北陸の味、美味かった。

 富山といえば路面電車、「ガタン、ガタン、ゴー、ギギギー」、きしむ音を立てながら暑い街の中を走っている。昼飯の後はその路面電車のリニューアルの成功例、富山駅の北口に出かけてライトレールに乗った。話題になり続けている道路特定財源もこんな使い方が出来るという代表例の路面電車である。下調べもしないで乗ったからどこで降りたらいいかわからない、向かい合わせの席に座った黒髪の女の人が路線の案内を丁寧にしてくれた。降り立った駅は「東岩瀬」、富山港に向かっての岩瀬の回船問屋群の街並みは案内どおりに素晴らしい。回船問屋「森家」の中を抜けて裏口から海に向かうと展望台が現れた。そのまま、海岸沿いの誰もいない道を歩くと、暑い中でも夏の終わりがじんわりと感じられる。店先に立てかけられた自転車と誰もいない店内から流れてくる音楽、組み合わされた物憂さが一層その気持ちを掻き立てる。

 その日の夜は昼の反動もあって、中央通の料理屋のカウンターで生ビールと冷えた日本酒をいつもより大目に飲んだ。翌日はホテルのそばのガラスBOXの内側に木製格子を組み合わせた槙文彦設計の「富山国際会議場」と「市民プラザ」を見ながら蛇行したデザインの大手町ストリートを歩き、総曲輪の「フェリオ」に出かけた。広場では丁度農協の青年部がイベントを催していた。富山の稲で迷路まで出来ている。手作りのイベントだ。富山「大和」デパートで帽子をふたつ買って外に出たら雨が降り出している。そのまま富山駅まで歩き金沢に向かった。富山では雨降りだったが、金沢では暑い陽射しがまた戻っていた。もう、勝手知ったる金沢では歩き回る場所もそんなになく、ひたすらジムに明け暮れた。

 8月の終わりにもう一度北陸で味わう夏の暑さ、家に帰ると夏を吹っ切る気配が虫の声と共に漂っている。こんな夏の過ごし方をもうこの何年も繰り返してきた。季節の変わり目を惜しむ気持ちが夏をふり返る。去年と違って今年の夏は、結局どこへも出かけられずに夏が終わった。7月末の風邪をこじらせた母の1年半ぶりの入院騒ぎと8月末の衆議院総選挙でどこへも出かけられなかったのは確かだが、出かける気持ちを掻き立てなかったのは夏らしい夏がやってこなかった事のほうが大きい。そして、穏やかだった夏が終わってみれば本格的な政権交代、暑い夏どころか、激しく世の中が変わりだそうとしている。変わっていく季節をもう一度押し止めたい気持ちを確認しながら吹っ切っていく、時代の変化についていくのも同じこと、虫の声と朝晩の冷え込みもそろそろ馴染みだしてきた。(青柳 剛)

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