□ 静かな選挙                                                            平成21年10月5日


 8月30日の「静かな選挙」が終わった。1ヵ月も経てば、選挙の結果はしっかりと検証されてくる。テレビ・新聞はもちろんのこと、週刊誌・月刊誌も選挙結果について特集するからようやく冷静に分析をすることが出来る。月刊誌「WILL」の日下公人の「自民党が負けた原因は美人の女性候補を並べすぎたからで、その点、民主党はほどほどの美人を揃えたからだ・・・」(18頁)という斜に構えたような分析も面白いし、それどころか、かえってこういった見かたの方が的を得ているのかもしれない。日本中が、身の廻り中が、暑い中、選挙一色だったような気にもなってくるが、実際はそんなことはない。大半の有権者は、選挙にはそんなに興味はない。選挙だ、選挙だと積極的に関わる人はほんとに一握りの人達だけだともうここ何年も思い続けてきた。あとはマスコミが選挙期間中はもちろんのこと、その後もひっきりなしに取り上げるから、日本中選挙一色だったような錯覚に陥ってしまうだけなのである。

 実際に選挙はそんなには燃えなかった。「4年前の小泉選挙では、渋谷の駅頭などどこからこれほど人が沸いてくるのか、というほど小泉首相への熱気、期待、があった。今回の鳩山代表とはまったく違う」(永田町最新レポート第218号ー鈴木棟一)、歴史的、地すべり的な政権交代の波が起きたのに民主党に対して熱気、フィーバーが感じられなかったというこの指摘こそ今回の選挙を言い当てている。もっと言えば、今回の選挙では有権者は物言わぬ人たちだった、このことが目に見えない空気を形作っていたのである。おそらく不況と地方の生活の厳しさがそうさせた。実際に選挙期間中に毎日足で一軒一軒回ってみても、白けた反応だけが返ってくる。簡単に言えば組織にバネがない、有権者ひとりひとりが理解していてもほかの有権者に声をかけ、集団としての動きになるまでの熱気が伝わってこなかったのである。

 18日の公示から土日の中盤戦に入ったあたりから、「これではだめだ!」と思って戦術を変えることにした。いくら政策の話をしてみたところで反応はすこぶる鈍い、「大半の有権者は政策選挙だと思っていない」という事に気づいたのである。選挙後の大半のマスコミの調査によっても、マニフェストを読んで投票した人は5%から多くても10%止まりだったという結果がこのことを説明している。白黒はっきりと分けられる政策の違いは公共事業ぐらいで数少ない、その他、基本的な国民に向けてのスタンスはどっちもどっちのバラマキ、見方を変えてみれば大差ないこともこの傾向に拍車をかけた。結局は政策についてよりも情に訴えれば人は付いてくる。旧態依然の選挙手法かもしれないが、地域のこと、ふるさとのこと、伝統のこと、子供のこと、守らなければならないこと・・・、こういった話をしだしたら有権者の心が動き出してきたのが日増しに伝わりだしたのである。

 投票日までにはようやく辿り着き、逆風の中でも地域の結果はそれなりに出すことが出来た。しかしながら、あくまでも地方の地域限定の中での結果だった。日本全体では、相変わらず「美人とほどほどの美人」の話のレベルで夏の選挙は終わった。サッカーで言えばオウンゴール、マイナス失点続きの政権与党に物言わぬ有権者がノーを突きつけただけであり、あとは大半の人がマスコミからの断片情報の1つか2つを見て投票したに過ぎない。今度の選挙を「静かな選挙」と冷静に分析することが正しい、選挙後に政権交代後の状況を連日マスコミが報道するから誰もが熱く燃えた選挙だったといつの間にか勘違いしだしている。ごく僅かの人しか読んでいなかったマニフェストを選挙後に誰もが読んでいたような気にまでなっている。政権は変わった、時代と共に変えるところは変わっていかなければならないが、ふり返ってみれば冷めた「静かな選挙」、マニフェストどおりの急激な改革を誰もが望んでいた訳ではない。「年金改革」、「医療保険改革」、「官から民へ」、「中央から地方へ」、「郵政民営化」、「金融改革」、改革のたびに生活は悪化したことに国民は気づいている。今日の株式欄を見ても小幅ながらも黒三角ばかりが目に付く、今後、振り子がどちらに振れるか分からない脆さを抱きながら新政権が動き出した。 (青柳 剛)

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