□ 孤独なカムイ                                                          平成21年10月26日


 群れて行動する気はないが、自分と同じ気持ちでみんなが付いてきている筈と思い続けていた時、そうでなかったと知った時の次第にジワジワと沸いてくる孤独な気持ちほど切ないものはない。振り返って見たら、違う方向に組織が動き出していたときのあの感覚だ。会社の中でもそうだが、どんな組織の中でも一番辛いことはこのことではないだろうか。少しぐらいのマイナスの失敗ぐらいはすぐにでも取り戻せる、ピッタリとくっついているのではないとは分かっていても、「組織の中では緩やかな繋がりぐらいはきっとある」と思い込んでいたことの落差は取り戻しようのない孤独感に覆い尽くされる。ひっくり返して考えてみれば、いかにリーダーとして、この孤独感を味わわないために会社を経営し、組織を動かしていくかを考え、行動していくかが大事ということ、いつも「リーダーが孤独」と思うようになったら負けなのである。

 孤独といえばこの間見た映画、「カムイ外伝」(白土三平原作、松竹)のカムイは孤独そのものだった。自由を求め、逃亡者となった松山ケンイチ扮する主人公、抜け忍カムイ、「誰も信じてはいけない、誰も愛してはいけない、ただ信じられるのは己だけ」という孤独な逃亡生活がハラハラドキドキ感と共に次から次へとアクションストーリーが展開するから面白い。スリリングに展開するスピード感も拍車を駆けていく。見終わってみれば、「孤独なカムイ」が自分自身の中をつま先から頭のてっぺんまですっぽりと覆いつくしているのが分かる。映画館から外に出れば、もう日曜日の黄昏時、夕闇と同時に秋風と色づきだした木の葉が孤独感を一層掻き立てる。カムイの引きずった気分を人混みに身を任せれば、たまらなく孤独感は募っていく、きっと見知らぬ群集の中で流されることがそうさせる。有楽町の山手線のホームには薄ら寒い秋風まで吹いている。

 「孤独な経営者」といわれるが、リーダーにとって最終判断は、ひとりきり、この場面こそ孤独な決断を迫られる。難しいときの経営判断を決めていくのに多数決の気安さは到底望めないから、最後はひとりで判断するしかない。ここの孤独な判断を、時代の変化を見つめながら、折に触れてきちんと出来るかどうかによって舵取りが変わってくるし、その後の企業のあり方も変わってくる。そうはいっても、孤独な判断を支えているのは組織の中の仲間、普段からこの人達とのコミュニケーションがうまく計られていないと外に向かう判断は失敗する。組織の内部で起きていること、組織の内部の考え方、そして孤独な判断にしっかりと付いてくるという確信がなければ組織の舵取りは出来ない。どんなに厳しい時でも、組織の中の支えがあると思うからこそ孤独な判断を繰り返してもやっていけるのである。

 振り返って見たら組織が違う方向に動き出していると気づいたときの孤独感は切ない。組織の中の変化を汲み取れなかったときに起きてくる。組織とリーダーがいつも一体になっていないと組織は違う方向に動き出す。そして、組織はほうっておくと内向きばかりに眼が向き、慣れも出てくる。どんな小さなことでも外に向かっていくための「仕掛け」をやり続け、組織はいつも「きしむ組織」にしておかなければならない。後はリーダーが組織の中に足を踏み込みながら、常に「半歩先」を歩いていることが大切だ。組織の中に埋没していてはどうしようもない、前に進まない、それに反して、遥か向うの前を歩いているようだったら今度は誰も付いてこない。「リーダーが孤独」と感じるのは「半歩先」の部分を歩いている時、「半歩先」にいる強い「孤独なカムイ」の気持ちで走り続けていれば、組織はきっとうまく動き出す。日曜日の夕方、有楽町のホームの上の「孤独なカムイ」、組織に支えられていると思うから、また闘う月曜日の朝を迎えることが出来るのである。(青柳 剛)

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