□ 誰が言い出したのかハコモノ                                             平成22年2月5日


 政治の世界はもちろん、どんな組織でも人を動かすのには分かりやすい言葉で発信することが大切だ。それもただ言いっぱなしの単なるスローガンではなくて、聞き手がその中身をすぐにでも理解し、イメージがどんどん膨らんでいく言葉を求められている。そして、あれこれと深く考えさせる言葉が大事だ。商品を売るのにも、先ずはいかに良いキャッチコピーかで消費者の心をグンと掴めればそこから先の売り方は楽になる。「家をつくるならあ〜♪」という短いイメージソングで、長い間顧客の心をつかんできたハウスメーカーもあるし、役所広司が出ているテレビの別のハウスメーカーの台詞は、意外性を抱かせながら心が和み、いつまでも忘れることのない良いキャッチコピーだった。コピーライターの果たす役割は大きいと改めて感じさせる。

 分かりやすい言葉で問いかけるのも良いが、ネガティブな敵をつくるような言葉は聞いていて後味が悪い。敵としての焦点がはっきりするから人の気持ちは惹きつけられていくが、事の本質から離れて一人歩きしがちである。「郵政民営化是か非か」で争った4年前の選挙は、敵がハッキリしたから、大衆の心もそちらの方へと流れて一党だけが考えられないくらいに短期間に圧勝した。今年の夏の選挙の「コンクリートから人へ」も分かり安い、4年前とまったく逆の結果をもたらした。それでも、どちらも時間が経つとあのフレーズはなんだったんだろうという気に誰もがなってくる。全うな議論が消えていってしまったことがそうさせる。建設産業界、特にコンクリート業界にマイナスのイメージを与えてしまったことは否めない。

 それにしても、建設産業界を揶揄しながらひと括りにする言葉は数多い。代表する言葉が、誰が言い出したのかハコモノである。主に公共建築のことを指しているのだが、薄っぺらな言葉であることには違いない。人が住み、人が使う建築を一生懸命考えながら設計に携わった建築家にとってはたまらない蔑称である。確かに無駄とされる建築もあったことだろうが、いつの間にかマスコミで「ハコモノ ハコモノ」と連呼されるたびに、すべての建築が「無駄なハコモノ」と国民の間で了解され始めだしている。そのほかに思いつくものだけを挙げてみても、建築の図面を描く人のことを図面屋とか絵描き、技術者のことは技術屋、建設業のことを土建屋、そして汚い・きつい・危険の3K産業などといくつも浮かんでくる。ものづくりの心が、たちどころに失せてしまうような言葉ばかりだ。

 木、レンガ、鉄と続き、コンクリートの歴史は日本の近代化の過程と共に歩んできたと言っても言い過ぎではない。近代化の過程の行き着く先は文化の醸成なのである。「コンクリートから人へ」も無駄な公共投資のことを言っているのだが、いつの間にか公共投資そのものが悪いとの論理にまで飛躍していってしまう。「ハコモノ」にいたっては、もう建築すべてを表す言葉になりだした。科学技術に対してはノーベル賞学者が出てきて記者会見までするから見直し論が出てくるが、こと土木・建築技術の分野の応援団は数少ない。戦後の足りないものをつくる時代も過ぎ、全国各地での建設ラッシュの装飾過多のバブルも経験した。その次に日本文化が目指すかたちは、文化の醸成期、文化は自動律の原理で動き出す。薄っぺらなキャッチコピーが蔓延しだせば、日本文化のありようそのものも、薄っぺらな文化から逃れられなくなるのである。(青柳 剛)

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