□ その後の「常温のぬくもり」                                              平成22年3月15日


 背伸びすることもなく、かといって、決して卑下することもないお互いの体温が通い合うような付き合い方、新潟の人たちが好んで飲む酒の飲み方の「常温」に引っ掛けて7年前の春に書いた文章が「常温のぬくもり」だった。その新潟の友人との付き合いは相変わらず続いている。頻繁に会うわけでもないが、肩肘を張らない関係だから長続きする。最近、彼が転職したこともあるのだろうが、実際に会うのは1年間に1度か2度、後はたまに入ってくるメールでお互いの消息を確認しあう程度の関係が続いている。今回はこちらにある大学の教授の研究室を訪れるという。そのついでに夕方にやってくるというメールが久しぶりに入ってきた。きっと特別な用件があるわけでもないが、なんとなく気の合う仲間、少しぐらいの別の用件は脇に置いといて、彼との1年ぶりの再会を待ちわびることにした。またいろいろな話題が尽きることなく、いい時間を過ごすことができるのである。

 「クレームは宝の山」といわれるが、彼との付き合いはクレームから始まった。転職する前の会社にいたとき、一緒になって仕事をしている際に起きたクレームである。工事途中で施工ミスが発見されたのである。彼の会社とこちら側の会社、どちらが悪いとも言えないが、一言で言えば単純な連絡ミスだった。もっと言えば、双方で図面を良く見ることもなく思い込みで現場が進んでいってしまった結果、発生した施工ミスだった。このときの素早い対応が彼は抜群に良かったのである。ミスとしてのクレームから逃げることなく、泊り込みで毎日朝一番にやってきながら、徹底的に原因究明と改善策を次から次へと提案してきたのである。中途半端ではなく大掛かりになってしまった手直しは、夜を徹して一週間近くに亘って行われた。その間、彼は朝から晩まで現場を離れることなく、付きっ切りで仕上げたのである。結局は何もないように仕上がり、事なきを得たが、このときの対応以来、お互いの関係は急速に深まっていったのである。

 約束通り、夕方に彼はやってきた。先ほど会ってきたばかりの大学の先生との話から始まり、あれこれ積もる話は尽きることなく次から次へと輪が広がった。盛り上がりついでに「折角来たんだから夕飯でも食べるか」と意気投合して、小さな居酒屋に出かけた。人口4〜5万人の都市には、雰囲気のある小奇麗な店は数少ない。その中でも特にお気に入りの店が丁度空いていた。14〜5人も入ればいっぱいになるこの店は、もちろん味も良いが接客の雰囲気もいい、そのうえ、和食の店であっても流れている音楽がジャズであるところがお洒落なのである。男2人で肩を並べてカウンターと思って座ったが、やはり向かい合わせの畳敷き小上がりにした。彼はいつもの「常温」、こちらは熱燗、それぞれ地酒2合を頼んで最初の一杯だけを注ぎあって後は手酌で飲みだした。お互いに注ぎあうのは煩わしい、気楽に自分の定量だけ飲んで終わり、それが無理のない飲み方にもなるし、「常温のぬくもり」の付き合い方にもなるのである。

 技術の情報やら近況やら趣味の話、途切れることなく続いたが、そんな中でも、彼が紹介してくれ、共通の知人となった国立大学の先生の話には辛いものがある。50歳代半ばで亡くなってしまったのだが、闘病中の最後に彼が自宅まで行ったのだが最後の言葉を交わすこともなく亡くなってしまったことを悔やんでいた。3人で新潟の駅の近くの居酒屋で酒を飲み始め、その勢いを駆って出かけた馴染みの古町の店、彼がピアノかフルートで先生がベースギター、俄仕立てのミニ生バンドの姿が昨日のように思い起こされる。そしてもう1人、毎月のようにアドリブというかウイットに富んだ文章と共に送られてきたジャズのライブの案内、最近送られてこなくなったと思っていたら、そのミュージシャンも体調を壊してもう身体を使った演奏はできなくなってしまったという。もちろんいい文章ももう書けない。人との出会いはいつも楽しい、しかしながらいつか必ずやって来る別れは寂しい。それでも切ない中にも誰かの胸の中にこうして刻まれ、語られることは素晴らしいことである。ジャズを聴きながら、季節に合わせた料理もまあまあ、ささやかな宴会が終わり、彼は夜の8時過ぎの新幹線で新潟へ帰っていった。「常温のぬくもり」の暖かさ、いつまで経っても消えていきそうにない春の宵だった。(青柳 剛)

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